もにゃにっき

つれづれなるままに、ちょっとコアな話をする

ジョジョの奇妙な冒険における法律と正義

いやぁ始まりましたね、テレビアニメ「ジョジョの奇妙な冒険 第5部 黄金の風」。
この記事書いてる時点ではもう2話ですが、中々楽しく見てます。

そりゃ全く不満がないわけではないですが、今日の主題はそこじゃなく。

 

アニメで初見な方の感想なんかを見てると、「ジョルノが主人公なのにいきなり軽犯罪を起こしてて新鮮」みたいな意見を割と見かけますね。
連載当時の読者でも、似た感想を抱いた人は多いと思います。

ですが、5部以前もジョジョって犯罪まがいのことは結構してるんですよね。
最初のジョルノのはただの悪事ですが、他の登場人物たちは自分の正義に基づいて、法律を破っている。

本来なら一致するはずの「法律」と「正義」ですが、ジョジョにおいてはそうではない。

なぜその2つが食い違うのか。そして、食い違うならば何が正義なのか。
そんな観点から、ジョジョの「正義」を掘り下げていこうと思います。

 

あ、一応書いておこうかな。

 

【警告】
7部まで未読の場合、これより先は読んではいけない

 

大したネタバレではないと思うけど、一応ね。

法律と超常現象

早速ですが、なぜこの2つが食い違うのか、この答えは本編でも語られています。

「法律とは人間のためのもの!小包を受けとるやつは!人間じゃあないのだッ!」
「だから法律を破ってでもとりもどすッ!!」
――第10巻 シーザー

(巻数は単行本のものです)

柱の男という超常的な存在を、法律は考慮していない。
ゆえに、彼らとの戦いにおいて役に立たず、無視するのもやむなし、ということです。

この考え方は以降の部で、スタンドとの戦いになっても変わりません。

「おめーのスタンドは被害者自身にも法律にも見えねえしわからねえ…」「だから」
「おれが裁く!」
――第13巻 承太郎

柱の男がスタンドに置き換わっただけで、基本は同じ考えです。
法律はスタンドには適用できない。だから、主人公承太郎が代わりに裁く。

だから法律を破ることと正義であることは矛盾しないのです。

 

すこし話が変わりますが、能力バトルもので能力が一般的でない作品って珍しくないですか?
例えば、とあるとかヒロアカなんかは特殊能力が世間一般にも広まってる世界観ですよね。
あまり色んな漫画を読むほうではないので、探せば出てくるのかもしれませんが。

これは古いジャンプ作品の作風を引きずった結果だと思います。
北斗の拳などの能力バトル以前の作風では、主人公やごく一部の人間のみが特殊な技を使え、一般人は存在すら知らないというのは珍しくないようにおもいます。

 

話を戻します。

正義の心

法律で裁けない悪だったとしても、主人公に裁く権利はないのではないかという指摘もあるでしょう。
実際、本編でも敵に指摘されるシーンがありますし。

「しかし日本の法律が俺を死刑に決めたからといっておめーらにおれを裁く権利はねーぜッ!」
「オメーにおれを死刑にしていい権利はねえッ!」
――第29巻 アンジェロ

しかしジョジョでは正義の心は絶対の存在であることが大前提として描かれています。
これは特に4部以降のラストバトルでは顕著に表れています。

「おまえに味方する『運命』なんて………」
「おまえが乗れるかどうかの『チャンス』なんて………」
「今!ここにある『正義の心』に比べればちっぽけな力なんだッ!」
――第46巻 早人

 

「真実から出た『誠の行動』は…………」
「………決して滅びはしない………」
――第63巻 ジョルノ

 

「わからないのか?」
「おまえは『運命』に負けたんだ!」
「『正義の道』を歩む事こそ『運命』なんだ!!」
――SO第17巻 エンポリオ

主人公たちは正義であり、正義は正しいものである。

ジョジョが奇妙でありながら王道である所以です。

主人公たちの気高き正義の心を示すことによって、1部から続く「人間賛歌」「人間のすばらしさ」を描いているのです。

そして、正義の心をもった主人公たちは、法律を超えて正しい存在なのです。

 

一方で、第7部では主人公ジョニィが「自分は正義なのか?」と苦悩する様子が描かれていますが…
それはまた別の話(そこまで語るとまとまらないので)。

いやすでにまとまってないような…。

何となく書きたいことを書きなぐった記事でした。